大判例

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大阪高等裁判所 昭和31年(う)731号 判決 1956年9月29日

主文

本件控訴は、これを棄却する。

理由

本件控訴理由は末尾添付の控訴趣意書の通りである。

第一点について、

弁護人は、原判決は郵便集配人は刑法第七条にいう公務に従事する職員であると認定したが、右は法令の適用に誤がある。大審院大正八年四月二日の判決は右集配人は右職員に該当しないと判示している。しかるに、原判決は郵便集配人は右職員に該当する旨説示しているのであるが、国家公務員法上の公務員がすべて刑法上の公務員に該当するものではないし、又郵便集配人は国家公務員法にいう一般職の職員に該当するものでない。その資格身分の根拠が法令に存し、その職務内容が公務であるというだけでは右刑法上の職員とはいえない。問題は郵便集配人の職務内容にある。その精神的智能的判断を要する程度はさほど高度のものではなく少年店員程度のものであり、送達実施機関としての職務も執行吏の職務中もつとも単純な職務である。刑法によつて保護すべき公務ともいえない。また、郵便集配人が公共企業体等労働関係法の規制を受け民間労働者に近い取扱を受けている点から考えても、職務内容の権力作用的要素の稀薄性がうかがわれる。大審院判例を無視した原判決は誤であると主張する。

しかし、本件の郵便集配人が公務に従事する職員であると解すべきこと、その公務に従事するについて法令の根拠があること、その公務の内容が単純な機械的、肉体的労務でないことは、原判決がその理由に説示している通りである。(原判決が引用した法令中昭和二十二年三月十八日郵政大臣公達第五十一号第三条附則第三項別表二とある郵政大臣は逓信大臣の誤記と認められる。)また、郵便集配人が郵便事業に従事する一般職の国家公務員であることは、公共企業体等労働関係法第二条第三項第二号の規定によつて明白なことである。さらに、公務執行妨害罪は国家権力の行使に対する反抗だけを処罰する趣旨でない。現行刑法は、旧刑法第百三十九条(官吏其職務ヲ以テ法律規則ヲ執行シ又ハ行政司法官署ノ命令ヲ執行スルニ当リ暴行脅迫ヲ以テ其官吏ニ抗拒シタル者ハ云々)などの立法例とちがつて、広く公務員の行うべき職務の遂行を保護する趣旨と解すべきである。従つて、弁護人所論の職務内容の権力作用的要素の厚薄は本罪の成否に関係はない。

次に、当裁判所が原審の見解を支持する理由を左に敷衍することとする。

ところで、大正八年四月二日大審院第三刑事部の判決は「刑法ニ所謂公務員ハ法令ニ依リ公務ニ従事スル職員ヲ云フモノナルヲ以テ仮令法令ニ依リ公務ニ従事スルモノト雖モ職員ト称スルヲ得サルモノハ公務員ニアラス、郵便電信及電話官署ニ於ケル現業傭人ノ如キハ官制又ハ其他ノ法令上職員ト称スルモノトハ其撰ヲ異ニシ職工人夫等ト何等択フ所ナキコト郵便電信及電話官署現業傭人規程ノ趣旨ニ徴シ明瞭ニシテ之ヲ職員ト称スルヲ得サルモノトス、従テ現業傭人タル集配人ハ該規程ニ依リ公務ニ従事スルモノナリト雖モ未タ以テ職員ト云フヲ得サルカ故ニ集配人ニ対シ暴行ヲ為シテ以テ其公務ノ執行ヲ妨害スルトキハ刑法第二百三十四条ニ依リ業務妨害罪ヲ構成スルモ同第九十五条ノ犯罪タル公務執行妨害罪ヲ構成セス、然ルニ原判決ハ郵便配達ニ従事中ナル本件集配人ニ対シ暴行ヲ為シテ其公務ノ執行ヲ妨害シタル所為ニ対シ同条ヲ適用処断シタルハ擬律錯誤ノ違法アルモノニシテ原判決ハ之レカ為メ全部破毀ヲ免レス、而シテ右ノ理由ニ依リ原判決ヲ破毀スル以上ハ被告ノ行為カ刑法第九十五条第一項ノ罪ヲ構成セサルコトヲ主張スル第二点ニ付テハ説明ノ要ナキヲ以テ之ヲ省略ス」と説示している。

そして、当時の郵便集配人は明治四十年十二月逓信大臣公達第七八六号郵便電信及び電話官署現業傭人規程による現業傭人たる集配手であつたことは大審院判決の説示する通りであるが、その後郵便集配人は昭和十四年三月逓信大臣公達第三〇六号通信部内特務雇員規程により特務雇員たる集配員に改められ、更に昭和二十二年三月逓信大臣公達第五一号逓信部内雇員規程によつて雇員たる身分を有する事務員と改められている。もつとも、この逓信部内雇員規程によつて採用せられる事務員の中には雑務手、給仕なども含まれているので、雇員たる事務員であるが故に直ちに、刑法にいわゆる職員に該当するとはいえない。

そこで、これ等の者の職務内容と郵便集配人のそれとの差異を考えてみるに、国家公務員の職務の内容は、その職務の複雑とその職務の責任を基準として分類せられるのであるが、「使い走りや、官庁内の書類の伝達等その都度指図を受けて、命令通りやるだけで、それ以上の責任のない最も単純で容易な仕事を行う職務」(一級職)や、「官庁用品を運搬したり、庁舎の内外を清掃したりすることを主たる任務とする職務その他その都度指図を受けるか又はきまつた通りやるだけの単純な仕事であるが、若干の体力を要するか又は若干の不快を伴う仕事を主とする職務」(二級職)などにあつては、職務の内容が極めて単純であり、かつ責任性も殆んど問題とせられることがないのであつて、かかる公務員が刑法上の職員に該当しないこと異論がない。しかし、郵便集配人の職務の内容は、右の如きものと同一に論じることは到底できないところである。

原判決も説明している特別送達郵便物の配達についてはいうまでもなく、通常郵便物の配達についても正当な受取人に郵便物を交付するという仕事は、決して単純な機械的労務だけで果せることでない。その職務を遂行するには、自ら新たな判断を下す必要もあるし、その仕事の遂行を誤つた場合には、郵便業務を運営する国家側にも、また郵便業務を利用する国民側にも多大の影響を及ぼす結果になるので、その責任は決して軽くない(郵便法第九条、第四十五条、第四十六条、第六十八条乃至第七十条、第七十七条、第八十条等参照)。かかる内容の職務を負担している職員を、給仕、清掃婦、人夫等と同一視することは、明らかに妥当でないと考える。また、公共企業体等労働関係法の適用をうける郵政省の職員の俸給制度は、同法に基く協約によつて定められているのであるが、外務職種(郵便集配人はこれに含まれる)に対する待遇の基準が、用務職種(雑務手、清掃手、給仕などを含む)に対する待遇の基準に比べて優つていることも、両者の職務の内容に軽重の差があるためであると認められる。

そもそも、公務執行妨害罪は、公務員個人の保護を主たる目的としているものではなくて、公務そのものを保護の主たる対象としているものと解する。国民全体は、一定の公務が円滑・適正に遂行せられることに重大な利害関係を有すること、いうまでもない。給仕、清掃婦、人夫等の仕事のやり方については、国民一般は直接の利害関係をもつことは少ないけれども、郵便集配人の集配業務が円滑・適正に遂行せられることについては国家も国民一般も重大な利害関係を有することは、前に一言した通りである。もしこの業職の円滑・適正な遂行が阻害せられるようなことがあつては、憲法の保障している通信の秘密の確保はいうまでもなく、われわれの日常生活の安定も著しく侵害せられることになる。かかる刑法的保護を必要とする公務を、公執行妨害罪による保護の範囲外に放置して顧みない見解には、到底賛成できない。

なお公務執行妨害罪と業務妨害罪との関係について考えてみるに、刑法の公務員に該当しない者の担当する公務が業務に含まれるかどうかの論争は別として、少くとも刑法の規定の体系からいうと、業務妨害罪の規定は本来、個人の法益を保護せんとするものであるといわざるを得ない。既に説明した通り、国家又は国民全体の利益に関する郵便集配の公務の如きものを、業務妨害罪の規定によつて保護せんとするのは、郵便集配事務の内容を誤解した議論であると考える。

以上の次第で、当裁判所も原審と同様、前掲大審院判例と見解を異にするものである。

第二点について

弁護人は、原判決は被告人が郵便物を配達に来た常村弘一に対し同人の公務の執行を妨害したと判示しているけれども、当時常村は職務を放棄して被告人と喧嘩をしたのであると主張する。しかし、記録を精査してみても所論の弁解を措信するに足る証拠は一つもない。

弁護人は、本件において被告人が常村に対して郵便物を渡せと要求したことはないし、生意気な奴だと怒号したこともない。また、常村の鼻の穴に指を突込んだこともなく、常村に土足で蹴る等の暴行を加えたこともないと主張する。

しかし、被害者常村弘一の原審第三回公判における証言と検事に対する第一回供述調書によつて、被告人が原判決認定のような行為に出たことを認めるに十分である。

弁護人は、原判決は被害者の供述を無条件に措信した。しかし常村も暴力を振つていたことは香野純一の証言でも明らかである。また、常村の上司藤井広太郎に対する報告によつても被告人は冗談半分に常村の鼻をつまんだという弁解が正しいことがわかる。原判決には採証法則の違背がある。被告人の供述を措信しないのも誤であると主張する。

しかし、原審第四回公判における証人香野純一は「富樫がその郵便配達人と云い合うように口論しました、そうしている中にどちらが先に手を出したのかよく覚えませんが富樫が郵便配達人の鼻の辺りを突いたようでした。それで郵便配達人はヨロヨロと倒れかけたが立ち直りました。そして次は腕力沙汰になりそうになりました。立ち直つた郵便配達人は富樫の腹の辺りを殴りました、それで富樫が怒り両手でもつて郵便配達人の肩を数回殴りました」と供述しているが、この点について郵便集配人常村弘一は原審第三回公判で「私は鼻に指を入れられたので、左手には郵便物をもつているために、右手で払いのけたところその人に押し倒されました」と証言しているのである。従つて、香野が見ていたときに常村が被告人を殴つたと観察したのは常村の証言のように同人が右手で被告人を払いのけた行為を指すものと認められる。たとえ冗談にしても他人に鼻をつままれて払いのけるのは当然のことであつてこれを暴行というわけにいかない。また、証人藤井広太郎は原審第三回公判で常村は「午後一時過ぎに帰つて来て、鞄の中にはまだ郵便物が入つており「ラクヨーに配達に行くとピケの人が郵便物を見せろと云うのでことわると鼻をつままれたり、それを払うと殴ぐられ、倒れたところを蹴られた」と云つておりました、生意気だと鼻をねじ曲げ様としたと云つておりました。その時は指を入れたとは聞いていません」と証言しているのであるが、常村弘一は原審第三回公判で「私の鼻に手をもつて来て、指を鼻に突込みました」と供述している。従つて、常村が上司に対して事件の概要を報告するに際し鼻の穴に指を入れられたことを報告しなかつたからといつて被告人の弁解が正しいというわけにいかない。また、たとえ鼻に指を差し入れなかつたにしても、被告人は原審第七回公判で被告人が鼻をつまんだのは郵便屋に生意気いうなという意味でこらしめのためにそうした旨供述しておるので弁護人所論のように冗談半分でやつたことでないことが明らかである。しかも、被害者常村弘一の原審第三回公判及び検事に対する第一回供述調書の各供述は、原審第四回公判における目撃証人由布惟之、森下信次、香野純一の各証言とも矛盾がなく一致しているので、原審が右被害者の供述を全面的に措信した措置は正当である。原判決確定の事実は、すべてその挙示する証拠で十分に認められ記録を精査してみても採証法則に違背するところはない。

第三点について、

弁護人は、原審の科刑は不当であると主張するけれども、所論を考慮に入れて記録に現われた諸般の情状を考察してみても原審の科刑は相当であつて不当な量刑ではない。

よつて刑事訴訟法第百八十一条第一項但書第三百九十六条の規定に従い主文の通り判決する。

(裁判長判事 斎藤朔郎 判事 網田覚一 小泉敏次)

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